可遊化とは
GRINEditの解説文を書きながら、「可遊化」でググってみたところ【ESPer2006】未踏ソフトウェア創造事業のOB/現役“超能力者”プログラマが大集合:ITproで「西尾泰和氏は「直感的にいじって遊べる」ことを意味する「可遊化」の概念を提唱。」と書かれているのを発見しました。ひゃー、恥ずかしー。
しかし可遊化でググってヒットする本人の文章が2004/09/04の「解くべき問題を面白いゲームにマッピングする技術」としての言及だけなのはちょっと誤解を招きますね。確かに、僕が可遊化という言葉を使い始めたのはこの時です。でも当時の僕はまだ視野が狭かったため、遊ぶという行為を「面白いゲームをプレイすること」に限定してしまっていたわけです。 しかし、それから「どうすれば現実世界の問題をゲームにマッピングすることができるか」を考え続け、そして間違いに気づいたわけです。ゲームだけが遊びではない、と。
「生産性のないゲームではなく、生産性のあるゲームを作ることで、 ゲームでの遊びに浪費されている人間の思考リソースを有効活用しよう」というのが花田さんがグリゲーでやろうとしたことなのだと思います。 それに触発されて「可遊化」と言い出したのですが、 遊びはゲームだけではなかったのです。
「遊びとは何か」という問題の答えはまだ見つかっていませんが、 プログラマが休日に何かをハックしているとき、 それは「遊び」なのではないかと思います。 「やっていて楽しいこと」は「遊び」なのでしょう。
今では、生産的なことを「やっていて楽しいこと」にすることができれば、 それは「可遊化」なのかもしれないな、と思っています。 直感的に操作できるツールは、バッドノウハウだらけのデータファイルをいじってコンパイルしないと結果を見ることができないツールより「やっていて楽しい」です。 だから「直感的に操作できるようにすること」は「可遊化」ですが、 それだけが可遊化なのではないと思います。