可遊化とは(その2)
西尾泰和のブログ: 可遊化とはの続き。
前回は、可遊化を「楽しい/楽しくない」という尺度で切りましたが、最近はもうちょっと違う切り口で切った方がいいのではないかと感じています。
可遊化されていないシステムは、左脳の言語的思考だけを使って考えるが、可遊化されたシステムは、右脳・左脳の両方を使って全体的に考える。 言語的な思考が必須であるようなシステムでは、左脳の能力しか生かせない。しかし、非言語的な思考が可能なシステムでは、言語的ではない、意識上に顕在していない思考も反映することが出来るのではないだろうか? 言語的でない思考も動員できるのではないか?
そんなことを考えています。
生物学的には、女性の方が男性より「左脳と右脳を繋ぐ脳梁」が太い、というのは事実な訳です。そして、科学的には検証されていませんが「女のカン」という物の存在は広く認められている物と思います。 「カン」とはなんでしょうか?それはある情報からある結論を導き出し、しかし「なぜそういう結論を導き出したか」は言語的に説明できない、というタイプの推論ではないでしょうか?
科学は、言葉で表現できることを要求します。 「カンで決めた」というと、それは根拠のない馬鹿げたことのように考えられます。 しかし、カンで決めた結果が、ランダムに決めた結果よりもよい結果をもたらすのであれば、結論を導き出した理由を言葉で説明できないからといって捨ててしまうには惜しいのではないでしょうか?
人間の知的活動のうち、言語的に説明できる部分はごく一部です。 男性でもそうです。あなたは自転車に乗るときにどう重心移動するかを言葉だけで説明できますか?酔っぱらって記憶がないのに家まで帰ってきたことはありませんか?自分は家の鍵を閉めたかどうか覚えていないのに、確かめてみるときちんと閉めていたりしませんか?そういう「非言語的思考」のリソースを、単に言語で記述して他人に伝えることが出来ないという理由で捨ててしまうのはとてももったいないことなのではないでしょうか?
その非言語的思考を拾い上げようとするのが、可遊化の目的なのかも知れません。
フィードバック
女性のカンというものは脳の作りも含めて「経験と現状とを統合した総合的判断を理論的にではなく反射的に行っている」ような気もします。自転車&帰宅に関しては「それぞれの状態についてのとるべき行動を「体験の繰り返しにより反射のレベルにまで記録している」という感じでしょう。「反射」という言葉を使うと語弊があるのと思いますが行動パターンの「ライブラリ」のようなものが出来上がるのではないかと思います。スポーツなどで言うところの「考えて動くのではなく体が勝手に動く」というレベルかと。「ゲーム脳」もこれに入りそうです。それぞれに、実体験が大きくかかわってくるものです。そのようなことを踏まえて西尾さんの普段の遊び方?などを見てみますと「行動結果の『無意識的な積み上げ』により次回の『経験則からの出力結果』の精度向上を図るプロセス」というなんというか結構な体育会系?の雰囲気をかもし出します。じゃあ「可遊化」はというと「体験のインプットによる次のアウトプットの活性化」のプラスのスパイラルを起こさせる概念かなと。みんなのいろいろアイデアを取り入れて楽しく遊び続けられることが更なる発展に繋がるってことですね。「可遊化」はプログラミングだけでなく人間の基本的な行動理念にも繋がりそうで子どもの成長過程での思考などにも結びつくであろうかなり面白い概念になりそうな気がします。